実親との関係

私って親不孝かも!?そう思っているあなたに絶対読んでもらいたいオススメの本

毎年、母の日や父の日が近づくと、ちょっぴり気が重くなるますみんです。

 

それはなぜか?

実は私、こういう母の日とか父の日って、何か贈らなければ、「親不孝」、「冷たい」と言われるのでは、と、プレッシャーを感じてしまうのです。

なので、毎年プレゼントを贈ろうと思うのですが、なんとなく「贈らなきゃ・・」というあまり乗り気でない気分でプレゼントを注文しています。

つまり、私自身は、まだまだ親との関係性にわだかまりを持っているということなんでしょうね。

 

親孝行とか、親不孝とか、そういうことを考えるだけで、ちょっぴり気が重くなってしう方に、まずは読んでいただきたい本があるので、ご紹介しましょう。

 

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生きるための「論語」

私にとって、「親孝行をしなければ」という考え方そのものを見直すきっかけにさせてくれたのが、こちらの本です。

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論語が親孝行の考え方の元となっていることは、通説となっていますが、こちらの本には、著者である安冨歩さんが、論語の親孝行の考え方を、別の見方で詳しく説明してくれています。

 

実は、論語でいうところの親孝行(孝)については、親孝行をすべき、という解釈がされるのが当たり前で、これが儒教の考え方として、浸透してきました。

しかし、儒教というのは、

人情に逆らうことをすべきではない

というのが基本的な教えなのだそうです。

そのことをより分かりやすく知るために、宰我という弟子の1人と孔子とのやり取りの話を、独自に解説してくれています。

宰我の話

孔子の弟子の1人である、宰我(さいが)が、ある時、孔子に尋ねました。

「親が死んで君主が三年も喪に服すのは長すぎるのではないですか?(一年で十分でしょう)」

この問いに対して、孔子は次のように答えました。

 

「もし、あなたが、自分の親が死んだあと、美味いものを食べては美味いと感じ、音楽を楽しみ、良い服を着ることが平気ならば、三年も喪に服すことはない」

 

孔子がこのように言ったのは、単純に、三年の喪が長いということに同調したのではありません。

もしも、親からの愛情を受けて育った者ならば、その親が死んで三年の間は、たとえ美味しいものを食べても美味しいとは感じないし、音楽を聞いても楽しむ気にもならないのだ。

宰我はきっと、親からの三年の愛を与えられずに育ち、それは不孝であり、不仁である以上、仕方のないことなのだ。

 

特に最後の部分は、原文の訳は「予や、その父母に三年の愛あらんか」とあるのですが、これを、「宰我は、三年間の父母の愛をうけなかったとでもいうのだろうか」、で終わっているのが一般的な解釈です。

 

しかし、この本では、この父母からの三年の愛を受けなかったことについて、更に深掘りしています。

生まれてから親から三年間の愛情を受けていれば、自然に親への孝行の気持ちが生まれるし、ましてその親が死んだ時には、その後三年間は、何を食べても、何を聞いても楽しくはないものなのだと。

それをなんとも思わずに、1年で十分だと言ったということは、この人はきっと親からの愛情を受けずに育ったのだろ、という、孔子の哀れみの気持ちがあったのではないか、ということなんですね。

宰我は、決して親の愛を忘れたわけではなく、そもそもそういうものを受けていなかったのだろう、という意味なのです。

 

ちなみに、こちらの著者である、安冨歩(やすとみあゆみ)先生は、東京大学東洋文化研究所の教授であり、経済学者、という経歴をお持ちの方です。

過去に、ご自身の気持ちが女性であることに気づき、そこから「女性装」をして活動をされるようになり、また離婚も経験されています。

その過程で、先生とお母様との間で、いろいろあったようなんです。

そういう背景を知ると、この解説も納得のいくものになりそうですね。

 

三年の愛を受けて育った人は自然に親孝行ができる

親が子供にかける愛情は、「無償の愛」だと言われています。

愛情をかけることで、見返りや、金銭的なものは、少しも求めていないからです。

子供がもし、親から無償の愛を受け取ることができていたならば、その親に対して、心から愛情を感じ、親孝行の気持ちを自然に持つことができるはずです。

どんな親でも親孝行した方がいいのでしょうか?日本では、「親孝行したいときに親はなし」と言う言葉があるように、親孝行は早いうちにしておくべき、と言う考え方があります。 あまりに...

しかし、実際には、それだけの愛情を受けて育つ人は、それほど多くはないのかもしれません。

もちろん、私も、子供に対して、どれだけの愛情を注いできたかは、100%の自信があるわけではありません。

 

三年の愛を受けた子供たちはどうなるか?

先ほどの本の安冨先生は、もし、全ての者が親に本当に慈しまれて育ち、無条件に受け入れられていると、感じて育ったとしたら、我々の社会はどのような姿になるだろうか、と問いかけています。

「そういう子供たちがいる学校でいじめが生じたりするだろうか」

とも書いています。

 

私は、この部分を読んだ時に、本当にその通りだと思いました。

そんな社会が理想であるし、やはり、そういう社会が作られることを常に目標にしていくことが、私を含め、今の親たちがすべきことなのではないか、と感じています。

 

親孝行について、なんとなく義務感を感じている人には、少し、気持ちが楽になっていただけたのではないでしょうか?

では、それでも親とか周りから「親不孝」などと言われたり、言われないかとビクビクしている人のために、親不孝についても考えてみたいと思います。

 

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親不孝だと言われる原因とは

「この親不孝モノ!」なんていうセリフはドラマや小説で出てきたりしますが、果たして、何をしたら親不孝なのでしょう。

勝手に家を出る
親が反対する人と結婚する(つまり一昔前で言う、駆け落ち)、
逆にいつまでも結婚しない
定職につかずに家に引きこもっている
結婚しても子供を作らない
滅多に孫を合わせに行かない
借金を親に払ってもらう

などでしょうか。

 

でも、本当にこれらのことって、親不孝にあたると思いますか?

今、親となった私は、これらは全て親不孝ではない、と思います。

 

もし、「お前は親不孝だ」、と言われたとしても、気にすることはありません。

そう、気にしなくていい

ただそれだけです。

親の方にも、

産んであげた
ご飯を食べさせてあげた
住む場所を与えた
お金を出して大学まで行かせた

だから親孝行しなさい、という考え方の人もいるにはいます。

 

しかし、親からすると、子供を産んだからには、育てるのは、親の義務です。

途中で放棄は、基本できません。

だから、どんなに大変でも、子供を育てなくてはいけないのです。

進学のためにお金を出すのも、親の意思で出すので、無理なら、別の方法を考えるのも親です。

お金を出して大学まで出してやった、なんて言うのは、単に、押し付けがましい、言い方ですよね。

 

親だって、それをしたかったから、やっただけ、だからこれが親として、一つの愛情の形でもあるのでしょう。

ただ、子供が行きたくもないのに、「大学くらい出なさい」と、無理に受験させてしまったなら、それが親としての愛情だとしても、子供にとってはそう受け取れなくなることもあります。

 

また、子供のことを親不孝だと言ってくる親は、親戚のことを持ち出すことがあります。

「親戚中で、あんたのことを親不孝だと言っている」

と、親戚を見方につけます。

これも、ただ単に世間体を気にしてるだけで、親がそういうことを言うこと自体おかしなことなのです。

まあ親も人間、世間の目が気になるのでしょう・・

これも、気にせずにいることでしょう。

 

まとめ

【生きるための「論語」】は、難しい論語を、比較的わかりやすく解説してくれている本だと思います。

この本の考え方で救われる人はたくさんいるはずですし、もちろん、私もその1人なので、多くの方に読んでいただきたいと思います。

 

さて、冒頭に書いた、母の日のプレゼントですが、例年どおり、お花を注文して贈りました。

例え、その時の自分にどんな思いがあっても、贈れば喜んでくれるのは確かです。

今の自分の気持ちを正直に受け止めて、無理をせずに、できることをやればいいのだと思います。

そのうち、自分も歳をとり、親もさらに歳をとると、また関係性も変わっていくかもしれません。

 

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