こんにちは。
サイト管理者の、ますみんです。
NLP(神経言語プログラミング)、バッチフラワーレメディ、TA(交流分析)を取り入れながら、メールカウンセリング中心にやっているカウンセラーです。
子育ての悩み、毒親問題などの人間関係、女性の輝く人生、日常生活などについて、心理学の視点から読んだ人の心があったかく、明るく、癒されて、少しでも元気に前向きになれるようなサイトを作っています。
このブログのコンセプト
最初は、子育てを中心に記事を書いていく予定でしたが、調べていくうちに、子育てと、自分の子供時代、そして、当時の親子関係が、子育てには強く影響する、ということに気づきました。
そして、そのことで悩んでいる人が多いことも・・
親のことで同じように悩んでいる人たちと、一緒になって、悩みを乗り越えていく
それがこのサイトのコンセプトです。
知識や経験を補うために、カウンセラーの資格も取り、日々勉強中です。
毒親や子育てだけではなく、日常の小さな出来事、そして、人間関係などに悩んでいる、多くの私のような女性に向けて、発信しています。
【管理人のプロフィール】
よろしければ、以下のプロフィールもご覧ください^ ^
ネガティブ思考のかたまり
私は、1972年生まれの、団塊ジュニア世代です。
幼少のころから、大人しくて、人見知りで、友達も少ない方でした。(今では、だいぶ変わりました)
身体を動かすのは好きだったので、運動は出来たのですが、とにかく、自分から話しかけるのが苦手な子だったのです。
当時の言葉で言うと、「ネクラ」です。
私の両親は共働きで、自営業だったので、日曜日も仕事でいない日が多く、ほぼ、かぎっ子です。
ずっとほったらかしで、寂しかったです。
私には兄がいるのですが、兄の性格は、私とは正反対で、活発で、リーダータイプ、学芸会では何度も主役をやるような男の子でした。
両親は、そんな兄の事を誇りに思っていて、親戚が集まった時などには、兄の話題でもちきりです。
当然、私の事を話題にすることは一切ないので、まるで存在していないかのような扱い・・・
母は特に、兄や、優秀な従妹や、友達と、私を比べて、「あんたは、もっと明るくなりなさい」ということをよく言ってきました。
親からそう言われ続けてきたので、
「私は、もっと明るくならなきゃダメなんだ」
「兄みたいにならなきゃいけないんだ」
と、なんとか明るくなろうとしました。
「どうか、明るくなれますように・・」
なんて神様にお願いしてみたり。
でも、そう思ったって、簡単には変われません。
そんな自分が、好きになれませんでした。
小学校6年生の時、親にいろいろ言われて、中学受験をしました。
そんなにレベルの高い学校じゃなかったのもあって、とりあえず合格はしましたが、特に行きたい中学だったわけでもないので、正直「どうでもいい」、という気持ちでした。
一応、地元ではお嬢様学校として有名だったので、母は自慢げに親戚に言い触らしていたのをよく覚えています。
ただ、私の性格は相変わらずだったので、女子特有の雰囲気には馴染めませんでした。
しかし、少ない友達の中でも一番仲の良かった子が、おもしろい事を言うのが上手で、私もそれにつられて、冗談を言ったり、笑い合ったり、ということが、少しずつ増えていったのです。
もともとお笑いが好きだったし、冗談を言ったり面白い事を言うのが楽しかったです。
しかし、家では変わりませんでした。
母は、自分自身もおそらく、祖母からうまく愛情をもらえずに育ったことから、愛情のかけ方が、ちょっと曲がっていたんですね。
私をなんとか、母にとっての理想の人間に変えたくて、「整形したら?」と平気で言ってくるような人です。
これでは、自己肯定感など、育ちません( ̄∇ ̄)
当時の家の中は、常にテレビの音が大音量で流れ、夜の野球中継を見ては、大声でヤジをとばしまくるような環境でした。(ついでに夫婦喧嘩の声も・・)
うるさくて仕方がないので、次第に、私は部屋に引きこもって、好きな音楽を聞いたり、小説を読んだりして、過ごすことが多くなりました。
日中の、誰もいない家で、1人、ピアノを弾いたり、テレビを見たりする時間が唯一リラックスできる時間だったのを覚えています。
家を出る決意
高校3年になると、進路を考える時期です。
特に、ピアノの腕前が優れているというほどではなかったのですが、一時期「ピアノの道に進もうかな・・」と心が揺れ動いた瞬間もありました。
しかし、クラシック以外もやりたいし、肝心の腕前も大したことないし、親からも将来ピアノで食べていくのは無理、と反対され(とにかくネガティブ思考なので)、自分の意見を押しとおす自信もなく、そのまま、音楽の方は、あっさりと諦めました。
じゃあ次は、と考えた時、なるべく、実家のある北海道からは遠く離れたところに行きたい、と考えて、本州の大学を受験したいと、切り出してみたのです。
当然、反対されました。
が、この時、私の意志は固く、なんとか受験をさせてもらえるよう、同意を取り付けたのです。
娘が親の言いなりになるのが当然と思い込んでいた両親は、私の意志が固いのを知って、びっくりしたと思います。
何故、頑固な親を説得できたのか?
それは、
「絶対に家を出たい!出ないと私はダメになる」
という気持ちが強かったからです。
当時、両親はよく、激しい夫婦喧嘩をしていました。
私が受験勉強中の時が、一番激しい時だったので、家中に響き渡るような怒鳴り声が毎晩響いていたのを覚えています。
とにかく強い意志で受験を乗り越え、無事に希望の大学に合格することが出来たのです。
大学で少しずつ自分を取り戻す
自由になったことで、私は本来の自分を出していく事ができました。
自分を変えたい、と思った時に、思い切って環境を変える事をしてみるのは、実に効果的な方法です。
でも、まだまだ、誰かと比較して自己満足に浸る、あるいは、自己嫌悪に陥る、という考え方のクセは取れずにいました。
それなりに楽しい自由な大学生活は送れましたが、さて、就職活動が始まる頃、時はバブル崩壊直後の、就職難と言われた時代です。
私は、国家公務員試験(Ⅱ種)を受験しました。
何故その職業を選んだのかというと、
お金のためだけじゃなく、出来るだけ多くの人のお役に立ちたかった
親が不動産関係の自営業で、景気に左右されて大変そうだった
まわりに認めて欲しかった
なんとなくカッコよさそう
などの理由からです。
親に認めて欲しい、とか、カッコよさそうというあたりは、いかにも自分を認めて欲しい若者が思いそうなことです・・
行動することで変わってきた
仕事は充実していましたが、忙しくなるにつれ、人の役に立っている実感はあるけれど、どこか空虚な気分がつきまといました。
そんな中で、興味があった英会話を習い始め、海外旅行にも頻繁に行く中で、「人生で一度は外国に住もう」と思うようになってきました。
海外に行くには、今の仕事はやめなければなりません。
とりあえず、民間のインターンシップの説明会に参加し、行先をアメリカに決め、準備金として10万円を支払って、あとはいつ仕事を辞めようか、と思っていた矢先、上司から転勤の話をされたのです。
以前から、現状を変える意味でも転勤を希望しており、田舎から抜け出したいこともあって、いろいろと理由を書いて出していました。
それが、ひょんなことから、東京に転勤できることになったのです。
しかも、驚いたことに、海外での研修もあるところなので、希望すれば行ける可能性が高いとの話でした。
仕事を辞めずに、都会に行けて、しかも海外にも行けるなんて、全ての夢が叶うのです。
結局その話を受けることに決め、その半年後に、イギリスに半年間行かせてもらいました。
強い意志をもって、行動を起こせば、夢は叶うのだ、
ということを初めて実感した瞬間でした。

イギリスでは、自然や古いものを大切にし、週末には仕事を早めに切り上げて家族で旅行に行く、そんな人たちがいるのを知りました。
それまでの私の生活はというと、終電まで仕事をしたり、土日も仕事を片付けに行き、公務員宿舎から職場まで往復3時間の通勤のため、食事もほとんど食べられない生活でした。
イギリスに行ったことで、それまで見て見ぬ振りをしていた自分の生き方に疑問を持つようになったのです。
その頃から、いずれ結婚した時、自分の育った家庭のようなものではない、暖かい、仲の良い、そんな家族を持って、家族のために尽くしたい、と思うようになりました。
帰国後3年して、結婚し、出産と同時に、安定した国家公務員をやめる決断をしたのです。
子育ての苦悩と毒親の影響
子育てをしていると、過去の記憶って、頻繁に頭の中に浮かんできます。
最初は不思議でしたが、そのうち、これって、自分の過去を、今目の前にいる子供に対しても繰り返しているかも、と気づき始めたのです。
そこから、やっと、自分の親のことを、
「子供に愛情のかけかたがわからない親」
だったのだと気づきました。
過去の親子関係が、大人になってからの人間関係に影響するし、仕事や子育てにも影響する、そんなことも、わかってきました。
これでは、自分の子供にも、自分と同じ思いをさせてしまうことになりかねません。
さらに困ったのは、時々、子育てのやり方に口をはさんでくることでした。
それも、私が幼少期に経験したようなやり方をそのまま孫にやろうとしているのです。
他にも、孫のことで気に入らないことがあると、わざわざ批判する内容の長文の手紙を送りつけてきました。
開封した途端、どっとエネルギーをごっそりもっていかれる気分になったものです。
(今では、それっぽい手紙が来ても、読まずに処分出来るようになりました)
正しいやり方を身につける
私の方でも、知らず知らずに、自分が親からされたことを子どもにしていることがあるものです。
これって、実は結構怖いことなんです。
そこに早く気付いて、何が良い方法なのか、ちゃんと追求し、それを実行していく。
その必要があることが、そこでやっとわかりました。
過去にあったことは変えられないけど、過去の出来事に対する考え方は変えられるし、未来も自分の思いどおりに作ることが出来ます。
もちろん、自分の過去と向き合うことは大切なことです。
でも過去にとらわれた生き方をしていては、過去の延長線上にいるだけで、未来も決まっていきます。
これを知っているだけで、子育てだけではなく、人間関係、夫婦関係、介護問題など、現代の人たちが抱える問題も解決できるはずです。
それだけではありません。
私と同じように、あるいは、もっと大変な親子関係を経験してきた人は、大きな成長をなしとげているはずなのです。
でも、そこから自分の本当の人生が何なのかを見つけることが一番難しいことだと思います。
何故なら、昔から自分の気持ちに正直に生きて来られなかったから。
だからこそ、今がチャンス
でもあります。
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頑張りすぎずに、楽しく、乗り越えていきましょう。
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