我慢していないと、逆に不安になる
そんな感覚になることはないでしょうか?
ずっと我慢してきて、自分を押し通すことが少ないまま育ってくると、我慢しなきゃ、となんでもかんでもそう考えてしまいがちです。
そういう人は、周りからは、とても忍耐強く、無理がききそうに見えるので、無理難題を押し付けられて困ることもあるでしょう。
そんなに我慢ばかりでは、辛いだけの人生になってしまいます。
我慢せずに、どうしたら、人生を楽しむことができるのか、をお伝えしたいと思います。
「我慢するのが当たり前」ではない
自分の意見を言えず、やりたいことも我慢して育ってくると、それが当たり前になって、感覚が麻痺してきます。
だから、自由に好きなことをやることに、罪悪感を覚えることになるのです。
我慢しなければ成功しない、好きなことを自由にやってはいけない、
という考えが頭のどこかに必ずあって、仕事でも恋愛でも、我慢する要素をわざわざ探して、自らそこに飛び込んでいっているようなことをします。
楽をしてはいけないと思っているので、自分を追い込んでしまい、苦しくなるのです。
でも、それが必要だと思っているため、まだまだ自分は甘えてる、なんて思い込むことも。
現実の世界は、目的のために我慢することも必要な場面もありますが、理不尽な状況に我慢し続けることは、自分を苦しめるだけで、そこから得られるものはない、ということに気づかないといけません。
従順でいたって幸せにはなれない
ここで、シンデレラや、白雪姫のお話をちょっと取り上げてみようと思います。
今大人になっている多くの女性の中で、シンデレラや白雪姫のお話を知らない人は、まず、いないはずです。
あのお話、女の子なら、誰もが憧れるように出来ています。
どちらも、最初は継母にいじめられ、ひとりぼっちで、不幸な状況だったのが、その後、王子様に一目惚れされ、めでたく結婚する、というお話です。
「こんな風に、白馬の王子様に出会って結婚したい」
と、憧れのお姫様になることを誰もが夢見るようなストーリーなのです。
このお話がなぜこんなに女の子にとって魅力的かというと、理由の一つに、主人公が、かわいくて、性格も良くて、でも母親にいじめられ、それでも従順に家事なんかをやっているあたりですよね。
そういう姿はけなげで、これから起こる、王子様との出会いを予感させる要素をたくさん含んでいるからです。
そうして、案の定、動物や、魔法使いのおばあさんや、小人たちが現れて、助けてくれることになり、その後、王子様が現れる、という流れになります。
では、現実に、こういうことって、起きると思いますか?
世の中には、シンデレラや白雪姫のように、かわいくて性格もいいのに、何故かいじめられたり、不幸になっている人がいることがありますが、それにひたすら耐え続けることで、真の幸せを勝ち取った人は、ほとんどいないように思います。
つまり、何が言いたいかというと、こういうお話は、現実には起きない、と思った方がいいということです。
(本当に起きたとしたら、めちゃめちゃ引き寄せ力の高い人かもしれないですね。)
それなのに、不幸に耐え、理不尽な思いをしながらも、「きっと我慢していれば、誰かが助けてくれて、幸せがやってくる」と思って、ひたすら耐え続けている人が世の中には多いのです。
そうして、
「まだ王子様が現れないから、もっと不幸にならないとダメ!」
と、本気で考えて、さらに耐え続けて、周りの人に不幸であることをアピールしようとします。
言っておきますが、これだと、負の無限ループに一直線に突入していることになります。
例えば、親に愛されないで育った人は、なおさら、幼少期から、この負のループにどっぷり浸かる傾向が強くなります。
親にいじめられ、コントロールされて、自分が苦しいとわかっているけど、親に対して従順な子供でいることに心地よくなっていることに気がついていません。
いつか、誰かが救ってくれるだろう、と思うのは、間違いです。
この状況がおかしいと、現実に気づいて、自ら対処しようと立ち上がることで、ようやく負のループから抜け出せるのです。
不幸に慣れている自分に気づくことで流れが変わる
我慢したり、従順でいることに慣れてしまうと、自ら幸せを勝ち取ろうという気力がなくなってきます。
不幸でいることが、逆に心地よく感じられ、安心できるとまで思ってしまうことも。
これでは、もし、本当に偶然幸せになるきっかけが訪れたとしても、気づかないで、ここでこのチャンスを掴んでしまっては、きっと後で、不幸になるかもしれない、などと、余計なことを考えてしまいかねません。
頭の中が、不幸でいっぱいだと、チャンスに気づかないものです。
自分の考え方のおかしいところに気づき、自分がどうやって幸せになりたいのかをしっかりイメージできるようになれば、一気に流れが変わってくる可能性が高くなります。
まとめ
我慢しなくてもいい、とは言っても、もちろん何でもかんでも我慢する必要はない、と思って、好き勝手にしていい、という意味ではありません。
あくまでも、必要以上に、我慢して、耐え続けることに慣れてしまっていると、一生負のループから逃れられなくなる可能性があるということなのです。
どういう時に、我慢し、どういう時に、我慢しなくて良いのか、自分の頭で考えるきっかけになってくれたらいいと思っています。