躾(しつけ)と聞くと、子供の頃に親や祖父母から厳しく躾けられた過去を思い出す人も多いかもしれません。
厳しく躾けられて良かったこともあるでしょうが、あそこまでやる必要はなかったのでは、と思うこともあるでしょう。
いざ、自分が子供に躾をする番になって、厳しすぎないように躾けをするのって、案外難しいものです。
どんなことを、どこまで躾けるべきか、それもわからなかったりします。
おもちゃの片付けも躾の一つだし、あいさつ、レストランでの食事のマナ―、お店の中で走ったり騒いだりしない、とか?
数え上げたらきりがないです。
その都度、子供を注意して、学ばせることはもちろん大切ではあります。
この躾の数々を、たった3つの事を守らせることで、他の躾はほとんどしなくても良い、と言われたらどう思いますか?
「まさか、そんなことあるわけがない」
と、普通は思いますよね?
実は、その方法を書いている本があるのです。
それは、森信三著「家庭教育の心得 21」です。
子供に必要な3つの躾とは?
森先生の「家庭教育の心得 21」の中に、親が子に躾けなければいけない3つの事が書かれてあります。
躾の三か条
1.朝必ず親にあいさつをする子にすること。
2.親に呼ばれたら必ず、「ハイ」とはっきり返事のできる子にすること。
3.履物(はきもの)を脱いだら必ずそろえ、席を立ったら必ずイスを入れる子にすること。
これが根本的にしつけなければならないことで、しかもこれだけで、躾は完了する、と言ってもいいそうなのです。
これを母親は決死の覚悟で取り組まなければならないというのです。
「この3つだけでいいの?」
「意外と大したことないかも」
と思われたかもしれませんよね。
でも、ここに、それぞれ結構深い意味が含まれているし、だからこそ、これらを躾けるのが思ったより難しいのです。
では、どんな意味合いがあるのか、私なりの解釈も加えながら、もう少し詳しく見ていきましょう。
あいさつと返事
1と2をまとめて解説してしまいますが、この、あいさつと、返事で、その人の「我」がとれるのだそうです。
「我」というのは、自我、とか、自意識、わがまま、という意味で使われます。
また、この「我」は、自分と他のものとの境目(さかいめ)を作って、他とつながっている意識をなくすイメージと捉えてもいいでしょう。
子供というのは、成長に伴って、自我が芽生えてきて、親の言う事を聞かなくなるものです。
自分と、他人との間に境界線を引いて、自己を主張することになるのです。
もちろん、これは良いことではありますよね。
ただ、躾をするタイミングとしては、自我があまり芽生えてからだと遅すぎるのです。
極端な話、わけのわからないうちに、あいさつや、返事を身体で覚えさせるのですね。
人間としての我がとれていると、素直で親の言うことをよく聞く子になるのだそうですよ。
ここまでは、いいとして、そんなにうまい具合に出来るものでしょうか?
それには、まず母親が手本を見せることなんです。
あいさつは家族の間で、朝起きた時に「おはよう」と言い合うようにする。
子供が自分からあいさつをするようになるには、もしかしたら時間がかかるかもしれませんが。
「はい」という返事についても同様です。
もしかしたらこれって、結構ハードルが高いかもしれません。
というのは、母親自身が、家の中で呼ばれたときに「ハイ」と言っているかにかかってくるからです(^^;)
「家庭教育の心得」では、まず母親が、旦那さんから呼ばれたときには、良い声で「ハイ」と言うことが必要だと説いています。(耳が痛い・・)
それで、子供は母親を見て、自分も「ハイ」と返事をするようになるそうですよ。
母親の方も「我」が取れる必要があるということですね。
ちなみに、母親の我が取れることで、家庭円満につながるのだそうです。
ついでに我の取れない母親は、子供に小言を言う資格もないとのこと・・・
「ん~、私には資格がなかった!!」
と、思ったら、早速今日から、「ハイ」とさわやかな声で返事をしてみましょう。
脱いだ靴を揃えることの大切さ
靴を揃えるのは、前の動作のけじめと、次の動作への準備という意味で必要なのだそうです。
しかも、これに関しては、小学校入学前に完了させていなければならないのだとか・・
うちは、すでに2人とも小学生。
そして、ちゃんと出来ていません。
後ろ向きに靴を脱いだり、前向きで脱いで脱ぎっぱなし、ということがほとんどです。
ましてや、振り返って靴を揃えるなんてことは皆無に近い。
たまにお友達の家に行った時などは、そうしているのを見たことがありますが、一応その方がいいのだろうということは頭ではわかっている様子。
すでに手遅れかも(-_-;)
以前、とある子育てセミナーに行った時に、講師の先生が
「靴は入船に脱いで出船で揃えるように」
と教えてくれました。
玄関で靴を脱ぐ時に、後ろ向きで脱ぐ人が多いのですが、それだと、家の主人にお尻を向けることになるので、必ず前を向いて靴を脱ぐ。
そして、振り返って、しゃがんでから靴を揃えるのが正しいのだそうです。
もちろん、頭ではわかっていても、買い物帰りなど、どうしても両手に荷物を持っていたら!?
靴を揃えるためにいったん荷物を置かなければいけないので、後ろ向きに靴を脱いで、そろえた気になってしまうのをよくやりがちです。
そこは、ひと手間かける気持ちの余裕が必要なのです。
ここで、仏教の言葉で、「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」というのをご紹介しましょう。
意味は、「自分の足元を見て、自分自身を見つめなさい」ということです。
人のことをとやかく言う前に、自分自身のことをよく見つめるべきだということですね。
これが、履物を揃えるということになったようです。
確かに、普段はどうしても上の方ばかり気になって、足元の靴に意識が向きにくいものです。
外から帰ってきたら、あれをしてこれをして・・と、意識が前へ前へと向きがちです。
それを、どんなに忙しくても履物を揃える心の余裕を持つことの大切さを説いているのではないでしょうか。
同時に、汚れている靴に対しても、意識を向けて大切に扱う、そこからモノを大事にする心が芽生えるのだと思います。
自分の履物を揃えたら、ついでに他の人の履物もだまって揃えてあげる。
そうして自分の心だけではなく、他の人の心も落ち着ける。
「はきものをそろえれば、こころがそろう」ということにつながるのです。
はきものをそろえる
はきものをそろえると心もそろう
心がそろうとはきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと
はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと
世界中の人の心もそろうでしょう
曹洞宗円福寺住職 藤本幸邦(こうほう)師 作
こんな詩を見たら、今日から実践しよう!という気になりませんか?
靴を揃えるのは難しい
そこで、私も早速実践しようと思いましたが、これが、なかなか難しい。
無意識のうちに後ろ向きで靴を脱いでしまいます。
脱いだ後に(しまった!)と気づくのですが・・
子供もやはり後ろ向きに脱いで、そろっていない部分だけしゃがんでなおしていたのです。
私と全く同じ
これではまだまだ修行が足りませんね。
もちろん、正しいやり方を説明しましたよ。
おそらく、当分は説明しなければいけないでしょうが。
靴を意識して揃えようと思い始めて2~3日したら、私はなんとか忘れずに出来るようになってきました。
ただ、ちょっと外へ出るのにサンダルを履いて行き、すぐに戻ってくるのを繰り返すたびにいちいちサンダルを揃えなおすのは大変面倒です。
でも、サンダルはすぐにまた履くからそのままでいい、靴の時はちゃんとしよう、と思っていると、きっとダメなんでしょうね。
人間は楽な方へ楽な方へといってしまうものなので、境目を付けずに毎回揃えなおすように心がけています。
子供は相変わらずですけどね。
イスについては詳しくは書かれていませんが、おそらく、前の動作のけじめ、という意味合いでは靴と同じようなことを言っているのだと思います。
モノと言うのは、あるべきところにおさまって、その役割を与えてこそ、意味があるというのを聞いたことがあります。
しまうべき場所にしまう、ということから考えてもやはり椅子も同様なのでしょうね。
子供は親のマネをする
子供って本当に親のマネをしますよね。
だからこそ、躾をする母親は、まず自分が出来ているかをよく振り返ってみないといけませんね。
私もあいさつだって、したりしなかったりの時もあったりするので、気を付けます。
特に最近、午前中の早い時間に買い物に行くと、スーパーのレジの人にあいさつされるんですよね。
いつも返事をしてよいものかどうか迷って・・結局しないできましたが、勇気を振り絞って挨拶してみようと思います!
あいさつも、なるべく自分から、相手からあいさつをされたら、100%必ず返そう!と心に決めて今日から実践していきたいです。
3つの躾だけで大丈夫?
子供が生まれてから、社会に出るまでの間に、身につけることってたくさんあると思います。
勉強もその一つですが、勉強が出来て、良い大学に入って、一流の会社に就職した人間が、人としてすばらしい人間とは限りません。
私は、この3つの躾の中に、人として生きていくための大切なものがすべて含まれている気がするのです。
あいさつと返事で「我」をとるのは、我があまりにも強いと、自分の事ばかり優先して、他の人のことを考えられない人になる。
ですから、周りと自分との境界線を作り過ぎずに、他人に意識を向けて、気持ちに寄り添えるような、親切な人間になることが出来るのではないでしょうか?
また、靴を揃えたりするのも、自分がお客さんだったら、主人である相手に敬意を払うことを学ぶことが出来ます。
使ったイスを元通りにするのもそうです。
物は、あるべき場所に常にしまう。
使ったら元に戻す。
いずれも前の動作のけじめ、という意味もありますし、見た目の美しさ、次の動作への準備という意味も含まれていますよね。
どんなに忙しくても、これらを行う心の余裕を持つ事が、今後の人生でも必ず必要となってくるはずです。
まとめ
森信三先生が本の中で言っている事は躾以外にもたくさんありますが、家庭内での女性のありかたについて考えさせられる内容でした。
躾は、母親が責任を持ってやらなければならないこと、そうすると、必然とまず母親が我を無くして、あいさつや返事をしていく必要があるのでしょう。
もしかしたら、現代の家庭の状況には多少合わない部分もあるのかもしれません。
でも、こういう日本に昔から存在した夫婦の形、親子の形、夫、妻の役割、というものが、健全な子育てには必要なのかもしれません。
やはり、家庭を持って家の中を気持ちよい空間にするためには、女性の力って大切なんですね。