小学生の娘がよく聞いてくるのですが、
「いいことをしてるのに悪いことが起こるのはどうして?」
という質問。
「う~ん、どう答えたら納得するのかな~」
と、自分自身でも正しい答えが見つからなくて、悩んでいましたが、こんな風に教えたらいいかもしれないな、と思ったことをお伝えします。
目次
いいことをしたのに先生に怒られた
例えば、友達に親切にしたり、家のお手伝いを積極的にしているのに、今日学校で先生に怒られた、と言ってきたことがありました。
子供にしてみたら、
「いいことをしてるのに、どうして怒られるの?」
と思っているようです。
いいことをしたら、すぐに自分にもいいことが返って来ると思っていいるのでしょう。
それ以前に、そもそも「いいこと」ってどんなことなんでしょう?
普通思い浮かぶのは、困っている人を助ける、家の手伝いをする、誰かを喜ばせる、周りの人に親切にする、などだと思います。
これらは、誰かの役に立つことにもつながっているでしょう。
つまり、誰か、がいて、その人のためにやってあげて喜んでもらう、というふうに言い換えられると思います。
でも、いいことって、それだけではないですよね。
目の前に誰かがいなくても、出来ることってありますよね。
風邪で休んでいる友達が早く良くなるように心の中で祈ったり、落ちているごみを拾ったり、誰も見ていなくても、自分が正しい行いをしようと思って常に行動していることもそうだと思います。
だから、子供がいいことをしようと思ってやっていることをよく見ると、明らかに親や先生に褒めてもらうことを前提に動いているだけの子供もいます。
そうして、陰では人の悪口を言ったり、親切にしてくれた相手に感謝することもしていない場合があるのです。
だから、後でほめてもらうなどのいいことを期待した上での行動は、本当に正しいことなのか、一度子供に考えさせることも大事だと思います。
じゃあ、いいことをしてもすぐにいいことは起きないし、悪いことが起きることもある、ということについて、どう答えたらいいのでしょうか?
いいことをしてもすぐにいいことは起こらない
世の中は複雑に絡み合っているので、いいことをしたからといって、すぐにいいことが同じ日に自分に起きるとは限らないですよね。
例え起こったとしても、それが、さっき自分が誰かに親切にしてあげたことによるものかどうかは、誰にもわかりません。
つまり、世の中のすべてのものはつながっているけれども、自分が何かをしたら、それがどう巡り巡って自分に返ってきているのかは、わからないということです。
例えば、バレンタインデーにチョコをあげたら、ホワイトデーにお返しをもらった、という場合は、はっきりしていますけど。
ただ、このように、目に見える形だけが真実ではないです。
でも、目には見えなくても自分がやったことって、少なからず影響はあります。
私なんかだと、誰かに親切にしてもらったら、今度自分が別の誰かにも親切にしてあげたいな、という気持ちになります。
そういうのが連鎖していって、何かしらの影響が広がっていくようなイメージでしょうか。
あと、こんな考え方はどうでしょう?
カルマの法則
カルマの法則というのがあって、物事には必ずその原因となるものがある、という考え方です。
仏教でも「因果応報」という考え方がありますよね。
簡単に言ってしまうと、良い行いをすると良いことが起きて、悪い行いをすると悪いことが起きるということです。
ただ、難しいのは、必ずしも良い行いをした結果が、自分が生きている間に自分に起きるとは限らないということなんですよね。
つまり、前世で、罪を犯してたら、現世で良くない目にあう可能性があるというのです。
だから、悪いことばかり起きて最悪な人生だ、と思っている時は、もしかしたら、前世で悪い行いをしていたかもしれないですね。
こういうことまで考えると、単純によいことの見返りによいことを期待できないことになります。
いや~なんとも深い話になっちゃいましたね。
じゃあ、現世で悪いことばかり起きるのは、もうどうしても変えられない運命と思ってあきらめるしかないのでしょうか?
これには、「業(ごう)」をそぎ落とす、という教えがあります。
悪いことが起きれば「業」がそぎ落とされる
これも仏教の考え方なのですが、人間の「魂」というのは、何度も生まれ変わるうちに、良い行いも悪い行いもすべて「業(ごう)」となってくっついてきているのです。
悪いことが起きるのは、その業が原因であって、悪いことが起きれば、「業がそぎ落とされる」のだから、良しとしなければいけないそうなのです。
確かに、悪いことや災難にばかりあっていると、自分の人生を悲観して、どうせ何をやったっていいことなんか起こらない、とネガティブに思いがちです。
それを、「業がそぎ落とされた!」「だから良かったんだ」と思えば、次からはまた前を向いて生きていこうという気分になるのではないでしょうか。
いいことと悪いことは交互に起こるの?
これは、自分が子供の頃に思い込んでいたことです。
確かに、いいことが起きた次に、悪いことが起きるような気がしていました。
これだと、いいことが起きた時に、次に悪いことが起きるんだ、とビクビクしていたり、または、悪いことが起きたら、次はいいことが起こるから大丈夫、と自分を慰めたり。
まあ、こういう考えもアリだとは思いますよ。
特に悪いことが起きた後は。
でも、いいことが起きた時に、素直に喜べないですよね。
今では、これは違うのではないか、と思っています。
単純に、ネガティブな考え方の人って、悪いことを引き起こすし、何があってもポジティブな考えを持っている人は、そのうち幸せになれる可能性が高いのではないでしょうか。
身近な人を見ていても、常に悪いことを考えたり、人と比べて悲観したり、悪い噂をふりまいたりしている人って、どう見ても幸せそうではないし、やっぱり不運に見舞われることが多いと思います。
それに、前向きで明るい人って、周りから応援されるような人ですから、自然と助けてもらったり、良い人間関係に恵まれるようになるものです。
悪いことがあっても乗り越えることで力がつく
どうせ、いいことをしても何も起きないなら、いいことはしない、と思ってしまったら人生おしまいですよね?
人生は長いですから、自分がやったことって、実を結ぶのにもしかしたら何十年もかかるかもしれません。
それを途中であきらめてしまったら、何の成功も幸せも手に入れることはないでしょう。
辛いこと、苦しいこと、が起きた時そこをなんとか乗り越えようと、もがいて頑張ったことによって、人間性が磨かれていきます。
その経験が、自分の糧となって、その後の人生でその経験を活かして活躍できる場が与えられることは十分に考えられるのです。
ですから、「なんだか最近いいこと無いな、嫌だな」と思っても、何クソと思って乗り越える力を身につけておく、そうすれば心が強くなっていくのです。
そんなことを繰り返していくと、そのうちに、何か悪いことが起きても、
「これは今の自分には必要な試練なんだ」
と思えるようになってきます。
悪いことを悪いことと捉えない習慣づけをすることができるようになるんですね。
いいことをした後に見返りを求めないのが良い
難しいのは、いいことをした時に、見返りを求めてしまうことです。
特に、子供の場合は、「手伝ってくれたらお小遣いをあげるね」とか、「テストで100点とったら、ゲームを買ってあげる」などの約束をしてしまうことです。
実は、私も何度かこういうセリフを言ったことがあります。
すると、子供は、おこづかいなどの見返りを求めて、お手伝いをするようになるのです。
そして、手伝った後に、「お金は?」、「今日はいくらくれるの?」と言ってきます。
「もしかしたら、このやり方、失敗だったのかも」、と思い直しました。
これだと、子供にしてみたら、手伝ったんだからお金をもらうのは当然でしょ、という気持ちで手伝いを引き受けるようになるからです。
だから、最近は、手伝ったからといっておこづかいはあげないようにしています。
それでも、一応、手伝ってはくれますよ。
もしかしたら、手伝うことの習慣づけと言う意味では、最初のアプローチは良かったのかもしれませんけどね。
まとめ
子供の考え方だと、まだまだ単純に物事を考えがちなところがあります。
だから、これをしたからこれが起きたんだ、となんでもすぐに結びつけてしまって、今回のような疑問が出てしまったのでしょう。
世の中は全てがつながっていて、かつ複雑なものなんだ、ということが理解できるようになれば、多少の悪いことにも動揺せずに、生きていけるのではないかと思いました。